繋げられませんでした、メンシスの脳と月の魔物 (3)
本記事は狩人の夢に咲く植物について記述し、それから「メンシスの脳はおそらく月の魔物の首についていた」という論点をまとめたいと思います。
※内容は後々変更する可能性があります
まず狩人の夢の植物について。こちらはTwitterで推察されており、それに従い、改めて調べましたところ非常に興味深かったので引用させていただきました。
先だって感謝申し上げます。
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静かな愛と、なりそこないの八芒星
狩人の夢に白い花を咲かす植物はハナニラ。
しかし花弁は6枚ではなく7枚で、葉はホスタ(ギボウシ)であるそうです。
またゲールマン、月の魔物と戦闘するエリアのハナニラは葉が無く、花弁は5枚。
ハナニラの花言葉は「悲しい別れ」「耐える愛」「愛しい人」「恨み」「卑劣」
ギボウシの花言葉は「落着き」「沈静」「静かな人」
一見するとゲールマンとマリアを模して造られた人形との、切なくて優しい間柄を示すようです。美しい。
...しかし私はそうは捉えない。ありえない、フロムはもっと下衆なはずだ。
ねじ曲がった私の根性は修正されても、違和感は残る。
狩人と月の魔物についても意味を込めているはずです。
キーポイントはハナニラは別名「ベツレへムの星」であること、5枚と7枚の花弁であること、ギボウシは「擬宝珠」の訛りであること。
「ベツレヘムの星」については、私はキリスト教徒ではないし、専門的に学んだ訳でもありませんので概要と月の魔物に関連しそうな部分をピックアップ致します。
ベツレヘムの星は「東方の三博士」にイエス・キリストの誕生を知らせ、ベツレヘムに導いた、キリスト教徒にとって宗教的な星である。博士達は星の出現に霊感を受けて「東方」からエルサレムまで旅をした。
ベツレヘムの星は八芒星で表現される。
ベツレヘムの星は八芒星ですがハナニラ自体は6枚の花弁。しかしブラッドボーンでは5枚と7枚。(デザイナーよ、うっかりミスとは言うまいな)
ベツレヘムの星単体を見るならば、赤い月は上位者の幼体へと変態する狩人「再誕」の予兆の星ともとれますね。
5の意味合いとしては人間を表すことから行動と変化を示すそうです。
安部晴明しかり、星を示す数字ですね。
浄化や魔除けを意味するほか、逆さにすると悪魔の印でもあるようです。
気になるのがタロットカードの5「教皇」日本での呼び名は「法王」でもあります。
その名が示す通り教皇と双子の聖職者がモチーフとされ、教皇が人々を祝福し、罪を赦す場面は慈悲の象徴とされる。
「教皇」は「皇帝」と異なり宗教的な律法を司る。
社会的道徳ではなく宗教的聖性に基づいて裁きを下す。また「教皇」と「女教皇」は共に教皇であるが、「教皇」は書物を持っていない。
これは書物による法文の確認を必要としない──即ち「教皇」自身が法であることを示す。
法王といえばダークソウル3のサリヴァーンを思い起こしますが、ブラッドボーンに当てはめるならば、教皇が月の魔物、双子の聖職者は狩人とゲールマンでしょうか。
ブラッドボーン本編においては、赤い月が渇望され、あるいは天災のようにも扱われていますから、見る者によって違って見える月の魔物自体が「法」であるというのも、あながち間違いでもないですね。
次に7という数字。
8に一つ足りない=完成(完全)に一つ足りない...とおもいきや、キリスト教では天地創造が7日間で成ったことから「完全」を意味するそうな。
仏教では六道輪廻の先、7つ目の仏の世界を示すそうです。
八は日本では「多数」を示し、また末広がりの縁起の良い数字、キリスト教ではイエスの復活が死亡後8日目だったので「復活」の意味を持っているとか。
仏教では涅槃に至るための8つの実践徳目があり、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定を総称して八正道というそうです。
ここでダークソウルに目を向けますと、8は太陽を示す要素として表現されています。
(例に上げますと、太陽騎士ソラールの鎧の太陽の絵、太陽メダル、影の太陽グウィンドリンの王冠※こちらは7になっており、首輪を含めて8になります。)
また太陽は恩恵と回復の象徴とも表現され(太陽の光の恵み、太陽の光の癒し)、不滅である古竜のウロコをそぎ落とした、永遠性の破壊と狩りの象徴でもあります。
上記の内容を基に月の魔物について書き出すと、
キリスト教的には(信仰の対象として)完成された存在である。
キリスト教と仏教を絡めれば新世界や仏の世界の始まり、あるいは先駆けを示す存在。
ブラッドボーン世界における「法」そのものである。
ダークソウル的解釈では7=何かが欠けていて、太陽になりそこなった存在。また竜になりそこなった蛇(のようなもの)であり、不死の象徴である。
その欠けている何かを示すのはギボウシの名前の由来である擬宝珠であると思われます。(先に擬宝珠について記述します。)
擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)は、伝統的な建築物の装飾で橋や神社、寺院の階段、廻縁の高欄(手すり、欄干)の柱の上に設けられている飾りである。ネギの花に似ていることから「葱台(そうだい)」とも呼ばれる。
起源は諸説あり、一つは仏教における宝珠から来ているとするものである。宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のこととも言われ、地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているものである。
もう一つはネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、その力にあやかって使われるようになったとする説
各部名称
先端の宝珠状の部分のみをさして、「擬宝珠」という場合もある。下にあるお椀を伏せたような部分を「覆鉢」、間をつなぐくびれた部分を「欠首」という。さらにその下、覆鉢の下の円筒形部分を「胴」という。
Wikipedia 擬宝珠 より抜粋
(画像は二条城の擬宝珠です。手元の写真がこれしかなく、橋を写していたので端っこでした。)
ネギ亜科であるハナニラと、ギボウシの命名元である擬宝珠が葱台と呼ばれているのはうまく合っていると感服します。
その形状はダークソウルでも一部で熱狂的なファンのいるカタリナシリーズでもおなじみの玉ねぎ頭です。
玉ねぎの花言葉は「不死」、その由来はエジプトにあり、首にかけて魔除けにしたり、ミイラを作る際は腐敗を防ぐために眼球をくり抜き、小さい玉ねぎを入れていたのだとか。
また薬としても利用され、心臓病、頭痛、寄生虫対策への効能がパピルスに記述されているそうな。血をサラサラにし、動脈硬化を防ぐのは確かですね。
その宝珠のくびれは欠け首と呼ばれている...つまるところ月の魔物に欠けていたのは首だった...と、推測いたします。
「釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のこととも言われている」
これも興味深い。
7が仏の世界を示すと前述しましたが、今度は骨壺です。さらに龍神の頭の中から出てきた珠。
これらを切り落とされたメンシスの脳の暗示として引用し、謎を解く鍵として配置したのではないでしょうか。これに関しては次記事で解決したいと思います。
なお、「地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているものである。」
こちらは月の魔物が狩人を抱えるシーンと、人形が上位者の幼体となった狩人を抱きかかえるシーンに忍ばせているのではないかと(こじつけています)。
激しい落差。
最後にギボウシについて。
ギボウシ(擬宝珠)は、キジカクシ科リュウゼツラン亜科ギボウシ属(学名: Hosta)の総称である。
山間の湿地などに自生する多年草。食用となり、花が美しく、日陰でもよく育つため、栽培される。
「ギボウシ」は擬宝珠(ぎぼうしゅ)の転訛であるが、これはこの植物のつぼみ、または包葉に包まれた若い花序が擬宝珠に似ることに由来する。
「竜の舌」という一部の方に強烈に刺さる文言はさておき。
山間の湿地に自生し、日陰でもよく育つ、つぼみが「擬宝珠」に似ているというのが興味深いです。
ブラッドボーンにおいて水は神秘の前触れであり、夢の深度で考えるならば深い眠りの上にある狩人の夢は、無意識の海の上に浮かぶ湿地ともとれます。
上記のように月の魔物が太陽になりそこなった存在ならば、ダークソウルにおける影の太陽グウィンドリンと同質的な存在ともとれ、ギボウシの「日陰でもよく育つ」という特徴は、無視できないと思われます。
そしてカレル文字「深海」の効果と象徴がここに結びついて仕方ありません。
人ならぬ声の表音となるカレル文字の1つ
深く沈む様に似ることから「深海」の意味が与えられ
記憶する者の発狂耐性を高める
大量の水は、眠りを守る断絶であり、故に神秘の前触れである
求める者よ、その先を目指したまえ
(ブラッドボーンより カレル文字 「深海」)
「深海」の文字はテキストでは「深く沈む様に似ることから「深海」の意味が与えられ」と記述されていますが、文字自体についての見た目を書いてあるとは明言されていません。
文字の象徴が狩人の夢の植物であったならば、抽象的な図の七枚の花弁がそれを示すともとれます。
また「深く沈むように似る」ということから、深海では赤の波長は届かないという要素と「日没」を掛けて、メンシスの脳の赤い光を届きにくくする...という理屈で発狂耐性が上がる効果を得ているのかもしれません。
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ここまでのまとめ
前記事で、メンシスの脳が放つ光は太陽の光ではないかと記述し、今回は月の魔物が何かが欠けた、太陽のなりそこないと記述いたしました。
これらを繋げることで、7=「影の太陽である月の魔物」に足りなかった1=「太陽の光を放つメンシスの脳みそ」が合わさり、
8=本来月の魔物は夜を破り、目覚めをもたらす太陽の魔物であったのではないかと、ここに結論させていただきます。
メンシスの脳が夜行性でないのも、太陽に近い存在であるためだと考えられます。
また大聖堂の槍を構えたアメンドーズによく似た像こそ、首がある状態の月の魔物を模った像ではないかと考えています。
すなわち、太陽の槍により、獣の夜を屠り、目覚めの朝を与えてくれる獣狩り信仰の主神こそ本来の月の魔物であったのではないでしょうか。
少なくとも本編時間では。
そして人々のすがる神であるがゆえに、人々の「集合的無意識」に存在し、赤子を求める者へ応えるのではないでしょうか。
また前記事で記述した月の魔物の、狩人の体力を0にする技。
これは月の魔物が影の太陽であるがために、なりそこないの太陽の光を放てても死に至らしめることはできず、また太陽の光でないために目覚めさせることができない=実害ダメージを伴わないからだと思われます。
...しかし謎はまだあり、月の魔物の首は落とされているわけで。
次記事でこれまで提示してきた疑惑を総括しながら、狩人の正体について猿真似推理をしたいと思います。
ただし、「おそらくトリックのモチーフとされたであろう」作品についてネタバレしてしまいます。
「メンシスの脳はおそらく月の魔物の首についていた」という結論については、本記事で一応のまとめられた(と思う)ので、もう充分満足された方はそれでよいかとも思います。
私の妄言文にお付き合いくださる物好きな方は、また次の記事にて。
引用元
引用ツイート
前に言ってたハナニラ(ベツレヘムの星)と狩人の夢の花の比較。
— ことは (@8mizuha8) 2020年5月6日
かなり近いと個人的には思うんですが、花びらが一枚多いのと葉の幅が倍くらいあるのでこういう別の花があるんだろうか。 pic.twitter.com/GpdMLDUGGI
ことはさんもこの花をハナニラだと思ってらっしゃったんですね
— ねむねむ (@nemunemu206) 2020年5月7日
わたしもです😚
私は葉っぱの方はホスタで、寄植え、というか、植えっぱなしでごちゃまぜになってるんだろうなーくらいにしか考えてませんでした😅
花言葉、人形ちゃんとゲールマンにぴったりなんでハナニラ説、捨てがたいんですよねぇ…
ことは様、ねむねむ様感謝申し上げます。
御読了いただきありがとうございました。
*1:前の記事で取り上げた、「蛇は竜のできそこないであり 不死の象徴である」というテキストを参照すると、竜と太陽は実は同質的なものと捉えられます。
より正確には天そのものの象徴でしょうか。
それゆえ古竜は竜の力(雷)でしか倒せないのかもしれませんね。(蛇足ですみません。)